Kids′ Photo Journal

3/11 Kids′ Photo Journal & Web Bellmarkのコラボレーション企画

被災した東北の子どもたちが撮り続ける写真と文章を記録し続けるプロジェクト
3/11 Kids′ Photo Journal 岩手・宮城・福島の子どもたちが、
写真と記事で今の学校生活を伝えます。

岡道 一平君 17歳

3.11の記憶が薄れてきている人が多いのではないかと感じます。地元の現状を見ると、復興はまだまだ先だと感じます。しかし、少しずつ復興に近づいていることも事実です。被災地の現状をたくさんの人に知ってほしいです。

私の母校は東日本大震災により被災した。中学3年生間近の出来事であったので残る1年の中学校生活に対し大きな不安を抱えていた。先の事を考えれば考えるほど怖くなった。しかし、学校は無事始まった。近くの中学校がいくつか教室を貸してくれたのだ。そのほかにも全国各地から物資的な支援、励ましの手紙、修学旅行の招待などのおかげで通常通りに近い学校生活を送ることができた。私が卒業したあと仮設の校舎に引っ越したが、今の生徒達にも自分たちの生活は多くの方の支援の上に成り立っているという事を忘れないでいてほしい。確かに以前のように生活することが難しいかもしれないが常に全国の方々に感謝し、多くの事を中学校で学び、将来復興や、社会に貢献できる大人になってほしい。もちろん私もその一人だ。それが支援してくれた方々への最大の恩返しだと私は思う。困難はもちろんあるが、諦めずに同じ目標に向かって一緒に頑張っていきたい。

釜石東中学校の校舎。前の校舎は東日本大震災で被災し今は取り壊しとなってしまい、今はこの仮設校舎で中学生は生活している。大変なことも多いとは思うが。

旧釜石東中学校の看板。震災前に昇降口前に立てかけてあったもので、震災後被災した中学校で見つけてきたそうだ。この看板のように伝統などを受け継ぎながらたくさんのことに挑戦し、多くの事を学んでほしいと思う。

釜石東中学校の校庭。仮設校舎の校庭はどうなるのかと思っていたが行ってみてみると活気にあふれ、部活をしている生徒がいた。昔から部活動が盛んなので多くの支援に感謝しながら頑張ってほしい。

太田 あま音ちゃん 11歳(文章)

私たちの住む筆甫は福島県と隣り合う山里です。
震災直後は放射能が降り、外で遊べなくなりました。
除染をしたり、時間がたって、今は外で遊べます。
これからも鳥の鳴き声や気持ちよい風が毎日流れてくる大好きなひっぽで元気に過ごしたいです。

太田 玄周君 9歳(写真)

ぼくの住んでいる筆甫は自然がいっぱいで、動物もたくさんいます。
ぼくは、バードウォッチングが好きなので、これまでいろんな種類の鳥を見てきました。
そんな筆甫の自然の写真が撮りたいです。
全員で16人のぼくの学校ではみんな仲良しです。

これは、二時四十六分にみんなでもくとうをした写真です。地震のあと、小学校のメンバーが増えました。福島からひなんして来た子が七人いたからです。今も、二人の友達が残っています。大変だった子たちと友達となって、私とはちがう経験をしたのだろうと思いました。そして、別れるのはさびしかったです。お父さんをなくした友達もいます。あの日にどれだけ不安な気持ちで、お父さんの帰りを待っていたんだろう。私はお父さんやお母さんもいます。つらい思いや悲しい思いをした友達の気持ちになって、それからなくなったたくさんの人たち、ひさいした人たちを思ってもくとうしました。

これは、私の小学校の校庭の写真です。福島第一原発のばくはつのあと、しばらく東京へひなんしました。新学期に学校へもどった時、両親から学校の外で遊ばないようにと言われ外へ出ませんでした。いつもチャイムが鳴ると外へ走っていって元気に遊んでいた私。みんながサッカーやおにごっこをしているすがたを見ていると「どうして私は外で遊べないのかな」と思いました。三年生になったばかりの私には理解するのがむずかしかったです。

これは、家の前でとった妹の写真です。東日本大震災の日は、二才でした。保育所にいた妹はとてもゆれが大きくてこわかっただろうと思います。そんな妹も、今は五才になりました。何でもチャレンジする活発な妹です。

丹治 基規君 13歳

震災当時福島の渡利小学校の4年生でした。震災3日後に愛知県にひなんし、今は佐織中学校に通っています。今はまっていることはお父さんからプレゼントされたギターです。コードで曲は弾けるようになりました。とっても楽しいです。

この写真は、僕が通っている愛知県の佐織中学校の1Dの教室の放課後です。いつも見ている教室なのにちがう教室に思えます。毎日ここで授業を受けたり、休み時間を友達と過ごしています。今年から福島に戻るので、またこっちに帰ってきたいです。

この写真は、僕がほぼ毎日部活で使っているグラウンドです。僕は野球部に所属しています。土・日曜日はここで試合をします。福島に行っても野球を続けるかどうかはわかりませんがここでの野球の思い出を大事にしたいです。

この写真は、学校のランチルームです。佐織中学校では全校生徒がここで給食を食べます。僕はあまり給食は好きではありませんがセンターで作った冷たい給食を食べるよりは幸せだと思います。


丹治 那月君 10歳

福島から愛知にひなんしてきました。野球でキャプテンをやってます。ポジションはショートです。今年は6位でした。次は金色にしたいです。将来の夢はプロ野球選手になることです。もうすぐ福島にかえると思うとちょっとさびしくなります。

しん災がおきてから3年がたち、愛知県での最後の1年をすごす教室です。4年という学年を最後に福島にもどります。このクラスでの一番の思いでは、みんなでやったお楽しみ会の『おばけ屋しき』です。4年が終わっても、もう少しいたかったです。

愛知県の北河田小学校にかよってから3年。ぼくが一番遊んだ場所です。この校庭を見れるのも、残り少なくなってきました。校庭で遊んだ事で一番心に残ったことは、大雪が降って校庭に雪がいっぱいつもってみんなと雪合戦をしたことです。福島の学校の校庭にも、雪がつもるといいな思っています。